高砂義勇隊を忘れるな!
かつて日本軍が窮地に陥ったとき、日本軍を支援し、命を顧みずに勇敢な戦いに挑んだ台湾の原住民がいた。
高砂義勇隊である。
しかし、マスコミが報道しないので、日本人にはあまり知られていない。
下方に、その参考動画を紹介しよう。
ニューギニアで日本人と共に戦った台湾・高砂義勇隊【大東亜戦争】
http://youtu.be/hKpVDy6os9Q
台湾の高砂義勇伝
http://youtu.be/9dXtCvDUWUg
高砂義勇伝 PART2
http://youtu.be/8SwzvxbYbt4
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かつて大東亜戦争を勇敢にたたかった台湾人がいた。
高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)というのは大東亜戦争時に、台湾原住民により編成された日本軍の部隊のことです。フィリピン、ニューギニアなど密林地帯の戦場に投入するために創設されました。
この高砂義勇隊は台湾の「高砂族」という山岳民族出身で構成されていますが、「高砂族」といっても実際はタイヤル族、トロック族、タウツア族、パイワン族、などなど複数の民族がおり、さらにパイワン族はピューマ族やアミ族などなど複数に分かれます。
1895年、日本は日清戦争の下関講和条約で台湾を領有することになりました。そこで日本は台湾実効支配のため、軍隊を派遣します。ここで戦争になったとかNHKなどが反日史観を刷り込んでいますが、実際は清国兵が掠奪、放火、婦女暴行を繰り返しており、日本軍は治安維持軍として民衆に迎えられ、台北城に無欠入城しているのです。当時の台湾民衆は「国家」「民族」という意識は低く、住民を守るものが歓迎されていました。
台湾はそれ以前にオランダ、スペイン、鄭氏政権、清朝統治の時代がありましたが、台湾の山岳地帯、東部の広範囲には実効支配は及んでおらず、山岳民族の征伐にいくと逆に撃退されていました。日本統治になるとこの山岳民族の政策に5代総督の佐久間左馬太が打ち込みます。まず、高い3000メートル以上の高山になれることから始まり、5回の山岳探検を行っています。最後まで帰順しなかったタロコ蕃の討伐には5年にわたって探検と準備がなされ、大正3年に本格的に実施しています。また、武力による制圧だけでなく、高砂族原住民の日本内地観光など融和政策も実施しています。
日本は高砂族の村々に警察官を配置しました。警察官はよく襲撃され、命がけだったといいます。また討伐に参加しています。大正元年には606名の警察官が殉職しています。この年以降はどんどん殉職者は減っていき、昭和4年にはゼロとなりました。しかし昭和5年、霧社事件という民間人を含む日本人134人が殺害されることも起こっています。これらのことは経済的、宗教的、または習慣上の行き違いなど複雑な原因がからまりあって起こるのであって、日本が原住民から搾取してやろうとか、そのようなことで起きたのではありません。
日本の台湾統治は内地を延長しただけで決して台湾は植民地ではありません。台湾を日本と同じように近代化していったわけで、時間がたつと台湾人も日本人と同化していきました。大東亜戦争が始まると高砂義勇隊(高砂挺身報国隊)が募集され、第一回は約500名がフィリピン戦線に派遣されました。高砂義勇隊は兵士ではなく、軍属として運搬や道路、橋の建設が主です。
高砂義勇隊をフィリピンに派遣するとなんと、彼らは磁石がなくても方向を見失わないし、一度見た山は忘れない、食糧を見つけるのが天才、しかも勇敢という才能を発揮します。
ニューギニア戦線で野戦病院がオーストラリア軍のゲリラに襲撃されたとき、患者として収容されていた20名の高砂族は飛び起きて、腰刀で斬りかかり、敵の数名の首を斬って主力を退却させたといいます。このほか、メナド空挺作戦、バレンバン空挺作戦でも大活躍したと伝えられています。
作家の鈴木明氏が昭和50年(1975年)ごろに台湾を訪ねて、高砂義勇兵だった人に「日本に対して、日本の軍隊に対して、遠慮のない意見を言ってください、本当のことを言ってください」とお願いするとその人はこう答えています。
「戦いは本当に苦しかったが、自分は特に日本を恨んでいるということはない。我々は確かに殴られたり、苦しいことに会ったが、それは日本兵も同じで、我々だけが苦しかったわけではない。
日本の軍隊が、われわれだけを苦しい戦場に行かせたなどということは、絶対にない。我々の父の時代に比べれば、日本時代はずっと生活がよくなったし、現在は日本時代に比べれば、また生活がよくなっている。だから、誰を恨むということはない」
また、他の義勇隊だった人に「義勇隊にとられた時は、どんな気持ちがしましたか?」と聞くと、
「とられたのではありません。自分で行ったのです。自分の精神で行ったのだから、誰にも文句はいいません」と語気を強めて言いました。高砂族、それは誇り高い民族でした。
参考文献
扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄(著)
中公文庫「高砂族に捧げる」鈴木明(著)
毎日ワンズ「ガダルカナル」辻政信(著)
小学館文庫「台湾人と日本精神」蔡焜燦(著)
参考サイト
WikiPedia「高砂義勇隊」
添付画像
高砂義勇隊(PD)
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Link:
日本人はとても素敵だった
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201309article_17.html
台湾人と靖国神社
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/200908article_7.html
テーマ「台湾」のブログ記事
http://ochimusya.at.webry.info/theme/0d57b8711f.html
テーマ「日本人が知らない シリーズ」のブログ記事
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高砂義勇隊である。
しかし、マスコミが報道しないので、日本人にはあまり知られていない。
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台湾の高砂義勇伝
http://youtu.be/9dXtCvDUWUg
高砂義勇伝 PART2
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かつて大東亜戦争を勇敢にたたかった台湾人がいた。
高砂義勇隊(たかさごぎゆうたい)というのは大東亜戦争時に、台湾原住民により編成された日本軍の部隊のことです。フィリピン、ニューギニアなど密林地帯の戦場に投入するために創設されました。
この高砂義勇隊は台湾の「高砂族」という山岳民族出身で構成されていますが、「高砂族」といっても実際はタイヤル族、トロック族、タウツア族、パイワン族、などなど複数の民族がおり、さらにパイワン族はピューマ族やアミ族などなど複数に分かれます。
1895年、日本は日清戦争の下関講和条約で台湾を領有することになりました。そこで日本は台湾実効支配のため、軍隊を派遣します。ここで戦争になったとかNHKなどが反日史観を刷り込んでいますが、実際は清国兵が掠奪、放火、婦女暴行を繰り返しており、日本軍は治安維持軍として民衆に迎えられ、台北城に無欠入城しているのです。当時の台湾民衆は「国家」「民族」という意識は低く、住民を守るものが歓迎されていました。
台湾はそれ以前にオランダ、スペイン、鄭氏政権、清朝統治の時代がありましたが、台湾の山岳地帯、東部の広範囲には実効支配は及んでおらず、山岳民族の征伐にいくと逆に撃退されていました。日本統治になるとこの山岳民族の政策に5代総督の佐久間左馬太が打ち込みます。まず、高い3000メートル以上の高山になれることから始まり、5回の山岳探検を行っています。最後まで帰順しなかったタロコ蕃の討伐には5年にわたって探検と準備がなされ、大正3年に本格的に実施しています。また、武力による制圧だけでなく、高砂族原住民の日本内地観光など融和政策も実施しています。
日本は高砂族の村々に警察官を配置しました。警察官はよく襲撃され、命がけだったといいます。また討伐に参加しています。大正元年には606名の警察官が殉職しています。この年以降はどんどん殉職者は減っていき、昭和4年にはゼロとなりました。しかし昭和5年、霧社事件という民間人を含む日本人134人が殺害されることも起こっています。これらのことは経済的、宗教的、または習慣上の行き違いなど複雑な原因がからまりあって起こるのであって、日本が原住民から搾取してやろうとか、そのようなことで起きたのではありません。
日本の台湾統治は内地を延長しただけで決して台湾は植民地ではありません。台湾を日本と同じように近代化していったわけで、時間がたつと台湾人も日本人と同化していきました。大東亜戦争が始まると高砂義勇隊(高砂挺身報国隊)が募集され、第一回は約500名がフィリピン戦線に派遣されました。高砂義勇隊は兵士ではなく、軍属として運搬や道路、橋の建設が主です。
高砂義勇隊をフィリピンに派遣するとなんと、彼らは磁石がなくても方向を見失わないし、一度見た山は忘れない、食糧を見つけるのが天才、しかも勇敢という才能を発揮します。
ニューギニア戦線で野戦病院がオーストラリア軍のゲリラに襲撃されたとき、患者として収容されていた20名の高砂族は飛び起きて、腰刀で斬りかかり、敵の数名の首を斬って主力を退却させたといいます。このほか、メナド空挺作戦、バレンバン空挺作戦でも大活躍したと伝えられています。
作家の鈴木明氏が昭和50年(1975年)ごろに台湾を訪ねて、高砂義勇兵だった人に「日本に対して、日本の軍隊に対して、遠慮のない意見を言ってください、本当のことを言ってください」とお願いするとその人はこう答えています。
「戦いは本当に苦しかったが、自分は特に日本を恨んでいるということはない。我々は確かに殴られたり、苦しいことに会ったが、それは日本兵も同じで、我々だけが苦しかったわけではない。
日本の軍隊が、われわれだけを苦しい戦場に行かせたなどということは、絶対にない。我々の父の時代に比べれば、日本時代はずっと生活がよくなったし、現在は日本時代に比べれば、また生活がよくなっている。だから、誰を恨むということはない」
また、他の義勇隊だった人に「義勇隊にとられた時は、どんな気持ちがしましたか?」と聞くと、
「とられたのではありません。自分で行ったのです。自分の精神で行ったのだから、誰にも文句はいいません」と語気を強めて言いました。高砂族、それは誇り高い民族でした。
参考文献
扶桑社「日本の植民地の真実」黄文雄(著)
中公文庫「高砂族に捧げる」鈴木明(著)
毎日ワンズ「ガダルカナル」辻政信(著)
小学館文庫「台湾人と日本精神」蔡焜燦(著)
参考サイト
WikiPedia「高砂義勇隊」
添付画像
高砂義勇隊(PD)
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日本人はとても素敵だった
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201309article_17.html
台湾人と靖国神社
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