日本興亡の分岐点 安倍待望論 番外編 Part1
先日、当ブログの読者から、深田匠氏の小論文があるとのコメントを頂戴しました。
当ブログでも紹介させていただきたい内容です。
2回に分けてアップしますので、是非、ご一読ください。 【転載歓迎】
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第二次安倍政権待望論・番外編(Part1)
2012総選挙論~日本興亡の分岐に立ちて~ (作家・国際政治学者 深田匠)
序
2012年12月16日、来るこの総選挙は近未来日本の盛衰を決定づける極めて重要な選挙となるであろう。覇権膨張を追い求める中国の熾烈な対日戦略が勢いを増し、日中冷戦が本格化する中、日本にとって最も重要な数年間を担う政権を選択する選挙になるからだ。
もし万一にも国民がこの選択を誤れば日本には確実に暗黒の近未来が待ちうける。その理由は本論第四部をご参照いただきたい。
自民党総裁選の前後、私は田母神俊雄先生のご協力を得て「第二次安倍政権待望論1~2」を公表させていただいたが、本論はその番外編として執筆した選挙論である。国家の命運を分ける総選挙前に1人でも多くの国民に読んでいただきたいと願う。
本論は党派だけで決め付けずに人物本位での投票を提唱する趣旨でもあるが、その認識を社会に広げていくためにはこの「戦後レジーム脱却サポーターズ」のような国民運動が伸張する必要がある。
まだ発足から間もない小さな運動だが、純粋に国を想う無私の志で活動していこうとする青年たちのこの運動がいずれ全国規模の国民運動に成長していくことを期待している。本論に共感していただけた方はぜひ「戦後レジーム脱却サポーターズ」への応援も併せてお願いしたい。
第一部 日本国民よ、衆愚たる勿れ
万学の祖と称される古代ギリシャの大哲学者アリストテレスは「民主制は衆愚政治に堕する」と唱えた。知識や情報を持たない大衆が情緒や感情に流されて参政権を行使し、大局観や国家戦略に欠けたポピュリズムに迎合した政権が生まれ、その結果国家の衰退が進行していくということだ。
私たち日本国民はこの3年間、まさにその衆愚政治による蹉跌をリアルに経験した。「子ども手当て」だの「高速道路無償化」だの「高校授業料無償化」だのといったばら撒きの餌に国民が釣られた結果はどうなったであろうか。
デフレ不況は勢いを増し、GDPは縮小し、財政収支も悪化し、米国との同盟関係は冷えこみ、中韓露に対する外交敗北は誰の目にも明らかとなり、原発事故対応は判断ミスを重ね、震災復興も遅々として進まず、そして中国はアジア太平洋を覇権下に収めんとする国際戦略のもと遂に日本へその牙を剥き出しにした。これほど国家の衰退が急スピードで進行した3年間は戦後において類例がないであろう。
衆愚政治、そして衆愚に迎合するポピュリズムは民主主義に付き物の弊害である。しかし我々人類は不幸にして民主主義に優る政治体制を未だ持たない。
従って私たちはこの民主主義体制の中でいかにして衆愚政治から訣別していくかを真剣に考え、政治に対する国民意識を向上させていく必要がある。政治家のレベルは国民意識のレベルによって変わるのである。
実は小選挙区制というものは極めて衆愚のポピュリズムに陥りやすい危険な制度である。民意の多様性を反映させるには同一選挙区内で複数の候補が選出される中選挙区制のほうがベターであり、小選挙区であれば「死に票」となってしまう民意の比率は大きくなる。
中選挙区制であれば選挙区有権者のおよそ15%程度の支持があれば当選できたため、政治家は自らの政治的信念を曲げずに主張することができた。
しかし小選挙区制では候補者中最多の票を取らないと当選できないため、有権者の多くを占めるノンポリシー層に迎合せざるをえなくなり、政治家は自らの信念を封印して無難な言動しかできなくなってしまう。
つまりその政治家の特色が薄くなってしまい、普通の一般国民からすると違いがわかりにくくなる。無党派層や知識・情報の少ない層はマスコミの世論誘導に乗せられやすいため、違いがわかりにくい人物本位の選択よりも政党単位で括っての支持になってしまうことが多いのだ。
右も左も分からぬ新人が国会の多数を占め、首相が1年ごとに交代するような政治の機能不全状態を引き起こし、日本の政治をダメにしてしまったのは小選挙区制なのである。
かくて小泉政権下の衆議院選挙においては、政治について素人同然の「小泉チルドレン」が多数誕生した。また稀代の改革政権であった安倍政権下の参議院選挙においても、その幾多の功績を左派マスコミがネガティブキャンペーンによって覆い隠したことで民主党が圧勝。
さらにマスコミが「政権交代」を煽った前回衆議院選挙においても国益重視派の有能な議員が多数落選し、何の役にも立たない素人同然の民主党新人議員が圧倒的多数当選するに至ったのである。
国民がマスコミに踊らされたこれら一連の衆愚選挙の結果、故・中川昭一氏、島村宜伸氏、中山成彬氏、萩生田光一氏、戸井田徹氏、水野賢一氏、木原稔氏、西川京子氏、奥野信亮氏、赤池誠章氏、西村真悟氏、林潤氏などなど、日本の国益を守るために尽力してこられた有能な人材が続々と落選の憂き目にあったのだ。
「非自民」「政権交代」という漠然とした「空気」に有権者が流された結末は、素人が政治を担った3年間の惨状を見れば一目瞭然であろう。鳴り物入りで当選した「小沢ガールズ」なる面々は相次ぐ不倫騒動や醜聞しか記憶に残らず、国会の多数を占めることとなった初当選の素人同然の議員たちは重なる国難に右往左往する醜態をさらすだけであった。
私たち日本国民は前回選挙による政権交代で大きな教訓を得た。しかしその教訓の実態を見誤ってはならない。「民主党政権はダメだった」が教訓なのではない。有権者が人物本位で候補者の政治姿勢を見極めることなく、マスコミに世論誘導されて「○○党だから」という理由で投票するという、まさに衆愚政治を体現してしまったことこそ最大の教訓なのである。
一言でいえば「マスコミを信用するな、候補者について自分自身でよく調べて自分自身の頭で考えて人物本位で参政権を行使せよ」ということに尽きる。
民主党が躍起になって喧伝する世襲批判も実に無意味でくだらないことだ。世襲であっても優れた人物もいるし、世襲でなくても無能なろくでもない人物もいる。同じ世襲でも鳩山由紀夫のようなルーピーもいれば、安倍氏のように稀代の改革者もおられる。
親が誰であろうが関係のないことであり、あくまでも候補者自身の人物本位で判断するべきことである。「世襲」という括りで見てしまうことは「党派」で括ることと何ら変わりない。
政権交代前にマスコミはさんざん2大政党制が素晴らしいものであるかのごとく煽った。しかし日本の現状のままでは本来の意味での2大政党制は困難であろう。米国の共和党・民主党や英国の保守党・労働党は、基本的な政治思想(イデオロギー)の違いによって成り立っている。
しかし日本では自民党も民主党も、異なるイデオロギーの持ち主が混在する選挙互助政党化していることは否めない。2大政党の本来の意義とは保守派と左派とがそれぞれを代表する政治勢力を持つことにあり、単に大きな政党が2つ有ることではないのだ。
確かに自民党には国益重視の保守派の比率が多く、民主党には媚中朝的な左派が多いことは間違いない。しかし両党の全ての議員がこの思想傾向にカテゴライズされることはなく、自民党にも呆れ果てる媚中左派がいれば、民主党にも愛国心に満ちた保守派がいる。
さらに今回の選挙では、本来は安倍氏の理想をともに支えるべき平沼赳夫氏や石原慎太郎氏が新党をつくって安倍自民党に挑むという捻れまで起こっている。この捻れた政治状況を糺す政界イデオロギー再編なくしては真の2大政党制など機能しないのである。
政党がこのような捻れ状況のままで今般の総選挙を迎えることになる以上、私たちは党派ではなく人物本位での投票を行う必要がある。私は「第二次安倍政権待望論」を公表したので自民党支持者だと思われているかもしれないが、日本再生への正しい国家戦略観を持つ安倍氏が総裁だからこそ支持しているのである。
仮に谷垣氏や石破氏・石原伸晃氏が自民党総裁であれば支持してはいない。自民党という党ではなく安倍晋三という人物に対して日本の未来を託したいと願っているのである。
第二部 政界のイデオロギー再編いまだ成らず
戦後日本においては、米国の被保護国に甘んじる軽武装志向の「吉田茂」路線と、米国との対等なパートナー化を目指す憲法改正志向の「岸信介」路線が、それぞれ自民党内でせめぎあってきた。
吉田路線を継承したのが宏池会(現・岸田派)であり、この系統の議員には自虐史観にとらわれて軍事アレルギーを持つ「戦後体制」護持派が多く、それゆえに対中従属傾向が目立ち、党内屈指の媚中派である古賀誠・加藤紘一・河野洋平の各氏らはこの宏池会系統に属する。
また田中角栄を源流とする一派(旧・経世会、現・平成研究会=額賀派)もこの吉田路線に位置しており、対中ODA利権を一手に握って媚中政策を推し進めてきた。この2派はいわば自民党媚中派と呼ぶべき勢力であり、かつて「中国の歴史教科書で日本の子供を教育するべき」と主張したこともある媚中左派のドン野中広務もこの系統の中心で権勢をふるってきた人物である。
それに対し、岸路線を継承してきたのが安倍氏も所属する清和会(現・町村派)であり、伝統的に中国への警戒心が強く親米・親台的傾向の議員が多い。
改憲主義者の中曽根元首相の系譜にある志帥会(現・伊吹派)も思想的には清和会に近く、平沼赳夫氏や故・中川昭一氏なども志帥会に属しておられた。こちらの2派が結党の理念を継承した自民党保守派と呼ぶべき勢力である。
すなわち自民党では吉田路線(宏池会・平成研究会)と岸路線(清和会・志帥会)が擬似的な政権交代を繰り返し、かつては吉田路線の派閥の力が大きかったのであるが、米ソ冷戦の終結に伴って日本が国際秩序維持の新たなる役割を求められるに至り、その妨げとなる妄想平和主義的な宏池会は衰退していき、逆に現実主義の岸路線の清和会の力が次第に増すようになったのである。
加えて中国の軍事覇権拡大や北朝鮮の軍事的暴走により、長年に亘り「外交と安全保障は票にならない」と言われた時代は終焉しつつあり、これからは「外交と安全保障こそが票になる」時代へと移行していくであろう。
国際情勢の変動により岸路線への回帰が始まったことは大いに評価すべきことである。
民主党においては新興政党ゆえに人材を集めるために幅広い候補者公募を行ってきたことから、自民党の公認を得られなかった保守派の逸材が民主党から出馬して当選したケースも存在している。なにしろ真正保守主義の王道をゆく西村真悟氏もかつては民主党所属だったぐらいである。
もちろん旧社会党議員をかかえ左派労組を支持基盤とする以上は、媚中左翼的思想の持ち主の比率が高いことは否めないが、そのような党内状況の中で保守的な主張を行うことは非常に勇気がいることであろう。それゆえに信念を貫く数少ない民主党保守派議員は高く評価したいと思う。
選挙が近づくと「ニワカ政治評論家」がネットや市井に溢れるが、相変わらず「○○候補は○○党だからダメだ」などと党派で決め付けている意見が非常に多い。保守派議員への投票を呼びかけているサイト上ですら、例えば「○○議員は○○公認で出馬するからエセ保守だ」などと党派のみで決め付けているケースがある。
ならば河野洋平という稀代の売国奴の派閥に属していた麻生太郎氏もエセ保守ということになるのか。
社民党や共産党から出馬したならいざ知らず、私から見れば政界イデオロギー再編が行われていない現状下では、ほとんどの政党はいまだ選挙互助会の域から出ておらず、所属党派で決め付けるほど愚かなことはない。
一例を挙げると、山田宏元杉並区長が維新の会から出馬されたことで、保守系を自称するとあるサイトが山田氏も落選運動の対象であると主張している記述を見かけた。
山田氏は私の師である田中正明氏の同志であり、南京虐殺なる虚構のプロパガンダの払拭や東京裁判パール判決の普及に尽力してこられた真の愛国者である。「戦後体制」の正体である自虐史観と戦ってこられた有為な逸材なのである。その山田氏をただ単に維新所属だからという理由で「落選させろ」などと主張するにいたっては、もはや正気の沙汰ではなかろう。このような浅はかな主張こそ衆愚の代表例である。
私は拙著において「アメリカを一括りに見てはいけない。アメリカには2つの対日観、2つの対日戦略が存在している」と訴えてきた。その主張に共感してくださった方々は、その多角的視点を国内選挙においても忘れないでいただきたいと願う。
日本でまだ政界のイデオロギー再編が実現されていない以上、党派で一括りに見ることは前回の衆院選と同じ過ちを繰り返すことになる。
もちろん保守のふりをしたエセ保守の政治家が多くいることは事実である。
引退を表明されたので実名を挙げるが、古賀誠氏は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長であったことから、古賀氏を保守だと思っている方もおられるであろう。しかし実は古賀氏は自民党最左派であり、野中氏の中国利権を受け継いだ媚中派のボス的な人物であった。国家に殉じた英霊を祀る靖国神社への参拝については、参拝を否定するがごとき輩は日本の政治家たる資格はないが、遺族会の票を目当てに参拝するエセ保守もいるのでそれだけでは案外と判断基準のあてにはならないのだ。
日本の「戦後体制」の国策の根本にあるものは大東亜戦争に対する歴史観である。
自虐史観から脱却できていない人物は「戦後体制」から脱却することはできない。「日本=加害者、中国=被害者」という一方的に歪曲された敗戦国史観こそが、今まさに日本を窮地に追い込んでいる「戦後体制=妄想平和主義」のベースにあるからだ。
たとえ靖国神社に参拝しようが憲法改正を唱えようが、自虐史観にとらわれている人物は、日中冷戦に突入するこれからの日本にとっては有害でしかない。
党派を超えて政治家を人物本位で見分ける最大のポイントは歴史観である。具体的な例でいえば、慰安婦強制連行、南京虐殺、東京裁判、その他、大東亜戦争に関する歴史認識についてその人物がこれまでどのようなスタンスを示してきたのか、それがまず最優先されるべき選択の判断基準なのである。
歴史認識に次いで2番目にみる判断基準としては、外国人参政権、人権救済法案、集団的自衛権行使、憲法改正などへの考え方がある。但し自虐史観から脱却している人物は確固たる国家観を有しているため、これらの国策についてもおのずと真っ当な判断をされるものである。
これら国策についての考え方は国家観に由来し、国家観は歴史観に基づいて形成されるからだ。
なお、第四部で後述する理由で全てにおいて対中包囲網を最重要視する私からみれば、TPPについての見解の相違などは3の次でよい事柄であろう。
むしろ問題は、中国がアジアを人民元経済圏化するために米国抜きで推進しているRCEPであり、日本が中国の反目に回れないように経済面で縛り付ける目的の日中韓FTAである。とりわけRCEPは日本が人民元経済圏に呑み込まれる途を開くものであり、米国の対中包囲網の一環であるTPPに対抗する動きである。TPPの1万倍は危険なRCEPや日中韓FTAについて、ほとんど争点化されていない日本の現実に私は慄然たるものを感じる。
私は国際政治学者の端くれとして作家生命の全てを賭けて断言するが、日本と中国はこれから熾烈な日中冷戦へと突入していく。
これはもう如何なる手段をもっても止められない。
東アジアで大陸国と海洋国のパワーが拮抗して発生した地政学的な冷戦においては、どちらかの国家パワーの著しい衰亡なくして決着はつかない。
日本は中国に打ち勝ってアジアの新秩序を担うのか、それとも中国の属国となって貧しく弱い卑屈な国として細々と生きながらえるのか。後者を選んだ場合は半世紀も経たずして日本はチベットと同じ運命をたどるであろう。
その運命を左右するのは「戦後体制」からの脱却が実現するか否かであり、この総選挙こそがその分岐点となるだろう。
日本興亡の分岐点 安倍待望論 番外編 Part2
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201211article_11.html
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Link:
マスコミが安倍晋三を叩く理由
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201211article_9.html
日出づる国の光芒 前編
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201210article_5.html
日出づる国の光芒 中編
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201210article_6.html
日出づる国の光芒 後編
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201210article_7.html
中国 十年以内に日本を核攻撃
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201110article_1.html
日本を寵絡するシナの偽史文明
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201008article_6.html
捏造された南京大虐殺
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/200910article_24.html
反日を国是とする中国 Part1
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201208article_2.html
反日を国是とする中国 Part2
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201208article_3.html
ブログテーマ 「日本人が知らない シリーズ」 (深田匠著)
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第二次安倍政権待望論・番外編(Part1)
2012総選挙論~日本興亡の分岐に立ちて~ (作家・国際政治学者 深田匠)
序
2012年12月16日、来るこの総選挙は近未来日本の盛衰を決定づける極めて重要な選挙となるであろう。覇権膨張を追い求める中国の熾烈な対日戦略が勢いを増し、日中冷戦が本格化する中、日本にとって最も重要な数年間を担う政権を選択する選挙になるからだ。
もし万一にも国民がこの選択を誤れば日本には確実に暗黒の近未来が待ちうける。その理由は本論第四部をご参照いただきたい。
自民党総裁選の前後、私は田母神俊雄先生のご協力を得て「第二次安倍政権待望論1~2」を公表させていただいたが、本論はその番外編として執筆した選挙論である。国家の命運を分ける総選挙前に1人でも多くの国民に読んでいただきたいと願う。
本論は党派だけで決め付けずに人物本位での投票を提唱する趣旨でもあるが、その認識を社会に広げていくためにはこの「戦後レジーム脱却サポーターズ」のような国民運動が伸張する必要がある。
まだ発足から間もない小さな運動だが、純粋に国を想う無私の志で活動していこうとする青年たちのこの運動がいずれ全国規模の国民運動に成長していくことを期待している。本論に共感していただけた方はぜひ「戦後レジーム脱却サポーターズ」への応援も併せてお願いしたい。
第一部 日本国民よ、衆愚たる勿れ
万学の祖と称される古代ギリシャの大哲学者アリストテレスは「民主制は衆愚政治に堕する」と唱えた。知識や情報を持たない大衆が情緒や感情に流されて参政権を行使し、大局観や国家戦略に欠けたポピュリズムに迎合した政権が生まれ、その結果国家の衰退が進行していくということだ。
私たち日本国民はこの3年間、まさにその衆愚政治による蹉跌をリアルに経験した。「子ども手当て」だの「高速道路無償化」だの「高校授業料無償化」だのといったばら撒きの餌に国民が釣られた結果はどうなったであろうか。
デフレ不況は勢いを増し、GDPは縮小し、財政収支も悪化し、米国との同盟関係は冷えこみ、中韓露に対する外交敗北は誰の目にも明らかとなり、原発事故対応は判断ミスを重ね、震災復興も遅々として進まず、そして中国はアジア太平洋を覇権下に収めんとする国際戦略のもと遂に日本へその牙を剥き出しにした。これほど国家の衰退が急スピードで進行した3年間は戦後において類例がないであろう。
衆愚政治、そして衆愚に迎合するポピュリズムは民主主義に付き物の弊害である。しかし我々人類は不幸にして民主主義に優る政治体制を未だ持たない。
従って私たちはこの民主主義体制の中でいかにして衆愚政治から訣別していくかを真剣に考え、政治に対する国民意識を向上させていく必要がある。政治家のレベルは国民意識のレベルによって変わるのである。
実は小選挙区制というものは極めて衆愚のポピュリズムに陥りやすい危険な制度である。民意の多様性を反映させるには同一選挙区内で複数の候補が選出される中選挙区制のほうがベターであり、小選挙区であれば「死に票」となってしまう民意の比率は大きくなる。
中選挙区制であれば選挙区有権者のおよそ15%程度の支持があれば当選できたため、政治家は自らの政治的信念を曲げずに主張することができた。
しかし小選挙区制では候補者中最多の票を取らないと当選できないため、有権者の多くを占めるノンポリシー層に迎合せざるをえなくなり、政治家は自らの信念を封印して無難な言動しかできなくなってしまう。
つまりその政治家の特色が薄くなってしまい、普通の一般国民からすると違いがわかりにくくなる。無党派層や知識・情報の少ない層はマスコミの世論誘導に乗せられやすいため、違いがわかりにくい人物本位の選択よりも政党単位で括っての支持になってしまうことが多いのだ。
右も左も分からぬ新人が国会の多数を占め、首相が1年ごとに交代するような政治の機能不全状態を引き起こし、日本の政治をダメにしてしまったのは小選挙区制なのである。
かくて小泉政権下の衆議院選挙においては、政治について素人同然の「小泉チルドレン」が多数誕生した。また稀代の改革政権であった安倍政権下の参議院選挙においても、その幾多の功績を左派マスコミがネガティブキャンペーンによって覆い隠したことで民主党が圧勝。
さらにマスコミが「政権交代」を煽った前回衆議院選挙においても国益重視派の有能な議員が多数落選し、何の役にも立たない素人同然の民主党新人議員が圧倒的多数当選するに至ったのである。
国民がマスコミに踊らされたこれら一連の衆愚選挙の結果、故・中川昭一氏、島村宜伸氏、中山成彬氏、萩生田光一氏、戸井田徹氏、水野賢一氏、木原稔氏、西川京子氏、奥野信亮氏、赤池誠章氏、西村真悟氏、林潤氏などなど、日本の国益を守るために尽力してこられた有能な人材が続々と落選の憂き目にあったのだ。
「非自民」「政権交代」という漠然とした「空気」に有権者が流された結末は、素人が政治を担った3年間の惨状を見れば一目瞭然であろう。鳴り物入りで当選した「小沢ガールズ」なる面々は相次ぐ不倫騒動や醜聞しか記憶に残らず、国会の多数を占めることとなった初当選の素人同然の議員たちは重なる国難に右往左往する醜態をさらすだけであった。
私たち日本国民は前回選挙による政権交代で大きな教訓を得た。しかしその教訓の実態を見誤ってはならない。「民主党政権はダメだった」が教訓なのではない。有権者が人物本位で候補者の政治姿勢を見極めることなく、マスコミに世論誘導されて「○○党だから」という理由で投票するという、まさに衆愚政治を体現してしまったことこそ最大の教訓なのである。
一言でいえば「マスコミを信用するな、候補者について自分自身でよく調べて自分自身の頭で考えて人物本位で参政権を行使せよ」ということに尽きる。
民主党が躍起になって喧伝する世襲批判も実に無意味でくだらないことだ。世襲であっても優れた人物もいるし、世襲でなくても無能なろくでもない人物もいる。同じ世襲でも鳩山由紀夫のようなルーピーもいれば、安倍氏のように稀代の改革者もおられる。
親が誰であろうが関係のないことであり、あくまでも候補者自身の人物本位で判断するべきことである。「世襲」という括りで見てしまうことは「党派」で括ることと何ら変わりない。
政権交代前にマスコミはさんざん2大政党制が素晴らしいものであるかのごとく煽った。しかし日本の現状のままでは本来の意味での2大政党制は困難であろう。米国の共和党・民主党や英国の保守党・労働党は、基本的な政治思想(イデオロギー)の違いによって成り立っている。
しかし日本では自民党も民主党も、異なるイデオロギーの持ち主が混在する選挙互助政党化していることは否めない。2大政党の本来の意義とは保守派と左派とがそれぞれを代表する政治勢力を持つことにあり、単に大きな政党が2つ有ることではないのだ。
確かに自民党には国益重視の保守派の比率が多く、民主党には媚中朝的な左派が多いことは間違いない。しかし両党の全ての議員がこの思想傾向にカテゴライズされることはなく、自民党にも呆れ果てる媚中左派がいれば、民主党にも愛国心に満ちた保守派がいる。
さらに今回の選挙では、本来は安倍氏の理想をともに支えるべき平沼赳夫氏や石原慎太郎氏が新党をつくって安倍自民党に挑むという捻れまで起こっている。この捻れた政治状況を糺す政界イデオロギー再編なくしては真の2大政党制など機能しないのである。
政党がこのような捻れ状況のままで今般の総選挙を迎えることになる以上、私たちは党派ではなく人物本位での投票を行う必要がある。私は「第二次安倍政権待望論」を公表したので自民党支持者だと思われているかもしれないが、日本再生への正しい国家戦略観を持つ安倍氏が総裁だからこそ支持しているのである。
仮に谷垣氏や石破氏・石原伸晃氏が自民党総裁であれば支持してはいない。自民党という党ではなく安倍晋三という人物に対して日本の未来を託したいと願っているのである。
第二部 政界のイデオロギー再編いまだ成らず
戦後日本においては、米国の被保護国に甘んじる軽武装志向の「吉田茂」路線と、米国との対等なパートナー化を目指す憲法改正志向の「岸信介」路線が、それぞれ自民党内でせめぎあってきた。
吉田路線を継承したのが宏池会(現・岸田派)であり、この系統の議員には自虐史観にとらわれて軍事アレルギーを持つ「戦後体制」護持派が多く、それゆえに対中従属傾向が目立ち、党内屈指の媚中派である古賀誠・加藤紘一・河野洋平の各氏らはこの宏池会系統に属する。
また田中角栄を源流とする一派(旧・経世会、現・平成研究会=額賀派)もこの吉田路線に位置しており、対中ODA利権を一手に握って媚中政策を推し進めてきた。この2派はいわば自民党媚中派と呼ぶべき勢力であり、かつて「中国の歴史教科書で日本の子供を教育するべき」と主張したこともある媚中左派のドン野中広務もこの系統の中心で権勢をふるってきた人物である。
それに対し、岸路線を継承してきたのが安倍氏も所属する清和会(現・町村派)であり、伝統的に中国への警戒心が強く親米・親台的傾向の議員が多い。
改憲主義者の中曽根元首相の系譜にある志帥会(現・伊吹派)も思想的には清和会に近く、平沼赳夫氏や故・中川昭一氏なども志帥会に属しておられた。こちらの2派が結党の理念を継承した自民党保守派と呼ぶべき勢力である。
すなわち自民党では吉田路線(宏池会・平成研究会)と岸路線(清和会・志帥会)が擬似的な政権交代を繰り返し、かつては吉田路線の派閥の力が大きかったのであるが、米ソ冷戦の終結に伴って日本が国際秩序維持の新たなる役割を求められるに至り、その妨げとなる妄想平和主義的な宏池会は衰退していき、逆に現実主義の岸路線の清和会の力が次第に増すようになったのである。
加えて中国の軍事覇権拡大や北朝鮮の軍事的暴走により、長年に亘り「外交と安全保障は票にならない」と言われた時代は終焉しつつあり、これからは「外交と安全保障こそが票になる」時代へと移行していくであろう。
国際情勢の変動により岸路線への回帰が始まったことは大いに評価すべきことである。
民主党においては新興政党ゆえに人材を集めるために幅広い候補者公募を行ってきたことから、自民党の公認を得られなかった保守派の逸材が民主党から出馬して当選したケースも存在している。なにしろ真正保守主義の王道をゆく西村真悟氏もかつては民主党所属だったぐらいである。
もちろん旧社会党議員をかかえ左派労組を支持基盤とする以上は、媚中左翼的思想の持ち主の比率が高いことは否めないが、そのような党内状況の中で保守的な主張を行うことは非常に勇気がいることであろう。それゆえに信念を貫く数少ない民主党保守派議員は高く評価したいと思う。
選挙が近づくと「ニワカ政治評論家」がネットや市井に溢れるが、相変わらず「○○候補は○○党だからダメだ」などと党派で決め付けている意見が非常に多い。保守派議員への投票を呼びかけているサイト上ですら、例えば「○○議員は○○公認で出馬するからエセ保守だ」などと党派のみで決め付けているケースがある。
ならば河野洋平という稀代の売国奴の派閥に属していた麻生太郎氏もエセ保守ということになるのか。
社民党や共産党から出馬したならいざ知らず、私から見れば政界イデオロギー再編が行われていない現状下では、ほとんどの政党はいまだ選挙互助会の域から出ておらず、所属党派で決め付けるほど愚かなことはない。
一例を挙げると、山田宏元杉並区長が維新の会から出馬されたことで、保守系を自称するとあるサイトが山田氏も落選運動の対象であると主張している記述を見かけた。
山田氏は私の師である田中正明氏の同志であり、南京虐殺なる虚構のプロパガンダの払拭や東京裁判パール判決の普及に尽力してこられた真の愛国者である。「戦後体制」の正体である自虐史観と戦ってこられた有為な逸材なのである。その山田氏をただ単に維新所属だからという理由で「落選させろ」などと主張するにいたっては、もはや正気の沙汰ではなかろう。このような浅はかな主張こそ衆愚の代表例である。
私は拙著において「アメリカを一括りに見てはいけない。アメリカには2つの対日観、2つの対日戦略が存在している」と訴えてきた。その主張に共感してくださった方々は、その多角的視点を国内選挙においても忘れないでいただきたいと願う。
日本でまだ政界のイデオロギー再編が実現されていない以上、党派で一括りに見ることは前回の衆院選と同じ過ちを繰り返すことになる。
もちろん保守のふりをしたエセ保守の政治家が多くいることは事実である。
引退を表明されたので実名を挙げるが、古賀誠氏は「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の会長であったことから、古賀氏を保守だと思っている方もおられるであろう。しかし実は古賀氏は自民党最左派であり、野中氏の中国利権を受け継いだ媚中派のボス的な人物であった。国家に殉じた英霊を祀る靖国神社への参拝については、参拝を否定するがごとき輩は日本の政治家たる資格はないが、遺族会の票を目当てに参拝するエセ保守もいるのでそれだけでは案外と判断基準のあてにはならないのだ。
日本の「戦後体制」の国策の根本にあるものは大東亜戦争に対する歴史観である。
自虐史観から脱却できていない人物は「戦後体制」から脱却することはできない。「日本=加害者、中国=被害者」という一方的に歪曲された敗戦国史観こそが、今まさに日本を窮地に追い込んでいる「戦後体制=妄想平和主義」のベースにあるからだ。
たとえ靖国神社に参拝しようが憲法改正を唱えようが、自虐史観にとらわれている人物は、日中冷戦に突入するこれからの日本にとっては有害でしかない。
党派を超えて政治家を人物本位で見分ける最大のポイントは歴史観である。具体的な例でいえば、慰安婦強制連行、南京虐殺、東京裁判、その他、大東亜戦争に関する歴史認識についてその人物がこれまでどのようなスタンスを示してきたのか、それがまず最優先されるべき選択の判断基準なのである。
歴史認識に次いで2番目にみる判断基準としては、外国人参政権、人権救済法案、集団的自衛権行使、憲法改正などへの考え方がある。但し自虐史観から脱却している人物は確固たる国家観を有しているため、これらの国策についてもおのずと真っ当な判断をされるものである。
これら国策についての考え方は国家観に由来し、国家観は歴史観に基づいて形成されるからだ。
なお、第四部で後述する理由で全てにおいて対中包囲網を最重要視する私からみれば、TPPについての見解の相違などは3の次でよい事柄であろう。
むしろ問題は、中国がアジアを人民元経済圏化するために米国抜きで推進しているRCEPであり、日本が中国の反目に回れないように経済面で縛り付ける目的の日中韓FTAである。とりわけRCEPは日本が人民元経済圏に呑み込まれる途を開くものであり、米国の対中包囲網の一環であるTPPに対抗する動きである。TPPの1万倍は危険なRCEPや日中韓FTAについて、ほとんど争点化されていない日本の現実に私は慄然たるものを感じる。
私は国際政治学者の端くれとして作家生命の全てを賭けて断言するが、日本と中国はこれから熾烈な日中冷戦へと突入していく。
これはもう如何なる手段をもっても止められない。
東アジアで大陸国と海洋国のパワーが拮抗して発生した地政学的な冷戦においては、どちらかの国家パワーの著しい衰亡なくして決着はつかない。
日本は中国に打ち勝ってアジアの新秩序を担うのか、それとも中国の属国となって貧しく弱い卑屈な国として細々と生きながらえるのか。後者を選んだ場合は半世紀も経たずして日本はチベットと同じ運命をたどるであろう。
その運命を左右するのは「戦後体制」からの脱却が実現するか否かであり、この総選挙こそがその分岐点となるだろう。
日本興亡の分岐点 安倍待望論 番外編 Part2
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201211article_11.html
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Link:
マスコミが安倍晋三を叩く理由
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201211article_9.html
日出づる国の光芒 前編
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201210article_5.html
日出づる国の光芒 中編
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201210article_6.html
日出づる国の光芒 後編
https://fuulinkazan.seesaa.net/article/201210article_7.html
中国 十年以内に日本を核攻撃
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日本を寵絡するシナの偽史文明
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捏造された南京大虐殺
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反日を国是とする中国 Part1
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反日を国是とする中国 Part2
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ブログテーマ 「日本人が知らない シリーズ」 (深田匠著)
http://ochimusya.at.webry.info/theme/57295fd580.html
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